| 日付 | H04_08_27〜28 | 教区 | 北海教区 | 通信員 | 荒川元秀 | ||
| トピックス | 平成四年度 北海教区行学講習会 並檀信徒懇談会 |
場所 | 幌延・長応寺 | ||||
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初秋とはいえまだ残暑きびしい八月二十七日、二十八日の両日北海教区の講習会が幌延、長應寺で開催された。 幌延、長應等の歴史は古く、鵜殿家菩提寺とされる。江戸時代は数度移転をくり返し東京芝に落ち着いた。徳川家に仕えた鵜殿家は、おとくの方が家康の側室となり、また長應寺に外護の念厚く寄進を重ね勝劣派触頭の大寺院となる。 時代は変わり、明治に入り武家は没落、開国の時代に入り外国との交流の祭、寺院が大使館の場所に利用され、長應寺もオランダの大使館になった。 長應等ほ、宗教活動がままならずついに、明治三十一年、南無練行院日総聖人(総本山本成寺六十九世)代に北海道に移し法華宗開拓移民を決意した。翌三十二年天塩郡ウブシ原野に法華宗農場開設、新潟・富山・宮城の三県より九十五戸の農民等を移住し入植開拓にあたったが、寒冷地のため思うように進まなかった。 明治三十七年、長應等は、移転出願を許され天塩村(現天塩、妙法寺)に一まず移り、同四十一年に現幌延に移転した。 その後、日総聖人が隠退したが、大正八年火災のため全焼し、聖人、住職、農場主任に復帰した。しかし、農場の負債、堂舎再建費用捻出に腐心してやむなく農場を処分し農場経営を終えることとなった。 このような歴史をたどった長應寺は、幌延町の郊外、上幌延の小高い森にかこまれた丘にある。 第一日目は、午前九時半より開講式、ひきつづ十時より宗務総長、牧野琢成師より講義を受ける。 十一時からは、宗会議長、布施慧光師より講義を受け午前を終える。午後からは、宗務総長を導師に、『法華示農場開拓物故者慰霊法要』が欽修され開拓者の霊をとむらった。 次に、本山執事、平井良光師から、ご本山開創七百年奉讃会記念事業協力についてのべられ、記念事業の協力を仰いだ。 最後に、檀信徒に対し宗務総長より法話があり檀信徒懇談会が終了した。 教区総会、懇談会が会場を移し豊富温泉で行われた。 第二日目は、長應寺にもどり、九時より講義が行われ、十一時に閉講式が行われ、全日程を終了した。 長應寺は、本宗では最北の地にあるが冬季のことや地理的条件を考えても現住職のご苦労がしのばれる。 |
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