| 東北教区 | ほんきょうじ |
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| 実教山 | 本鏡寺 | |
| 院号通称 | ||
| 住職名 | 28世 藤本 典行 | |
| 所在地 | 〒997-0026 山形県鶴岡市大東町15番地1号 | |
| 電話 | 0235-22-3112 | |
| FAX | 0235-22-3112 | |
| E−mail | honkyoji@mail7.dewa.or.jp | |
| 開山 | 大覚院日定 | |
| 開基 | 大覚院日定 |
| 交通 | JR羽越線鶴岡駅下車、車で10分。 |
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ユーモアのある戒名のあるお寺!! 文豪高山樗牛が通った本鏡学校!! 当山は法華宗に改宗されて460年程経過しました。その間、多くの著名人が墓地に埋葬されています。その中で、生涯酒を友として生きた一人の武士の戒名が「強呑院蕩楽日寝居士」(ぐいのみいんどうらくひるねこじ)といいます。 妻を亡く愈々酒は故人の友となり、こうした戒名がつけられたといわれています。 又明治5年の学制発布で当山は本鏡学校として開設され、その第1回の入学者に「高山樗牛」がおります。又大正ロマン作家の「佐々木邦」が疎開していた寺でもあります。 |
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T寺宝 |
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U建造物
庫裡庭園及び石灯篭(天宥作) W石造物
不動明王石像(天宥作)と刑場供養塔(日堂聖人筆) 3.三十番神石灯篭一対・・・・天明3年(1783)8月作 |
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X石碑
2.長坂猪之助 3、秋保政右工門(初次郎、親友、子睦、一操) 4、池田駒城(定助、譲助、雄助) 5.石井子篭(幸右工門、張昌、為竜、竜眠) 6.加藤昇三郎(修蔵、環亀軒、賀文輝、梅厳、瑞園) 7.里見家 8.辻宣右工門(順治、叔方、鵬池)辻庄一郎(五郎八)辻順治 9.畑田安右工門(維憲、良作) 10.弭間 淡遊(貞松、合漢舎)林風草(宗弥、一株林、柳下斎)
11.平田文明(太郎右工門、曙庵)平田安吉 12.三矢宮松 13.上野禎蔵(水野行蔵、鵬、図南)上野穀夫 14.山口宝太郎、山口将吉郎 (附記 この小誌は、歴世に伝承すべく作成したものです、誌中、誤り或いは当山に対する新見聞ありましたならば順次改編してゆくものです。今後の御教示御協力を乞う次第です。 昭和52.7 第二十七世瑞力院日英聖人、 2版平成11.5瑞雲院日行九拝)
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| <沿革>
当山は往古、真言宗派として市内三日町東、矢場地近く現在の国松酒造業を入口門とし、旧第二小学校敷地跡に所在したが、享禄4年(室町12義晴将軍、105、後奈良朝1531)法華宗総本山、長久山「本成寺」九世日覚大僧正(天文19.11. 1550寂)の教化により、時の住職開祖、大覚院日定大徳(天文21.7. 1552寂)法華宗に転伏改宗し、寺号を実教山「本鏡寺」と呼称した。これより寛文6年(徳川4家綱将軍、112霊元朝1666)秋、当山九世、圓了院日義大徳(寛文13.10 1673寂)の折、荘内鶴ケ岡城主、第三代酒井忠義公(註1)より「本鏡寺高灯篭城中より望見され覚はしからず」の御沙汰あり一万坪を給され、寛文11年(1671)には、紙漉町(現大東町)に移転現在地におよび、当時「立本坊」なる脇寺も現況山門左側に存存し、羽黒山第50代別当職天宥法印の造園に相まって、その堂閣も本堂間口13間半、奥行9間、庫裡間口15間、奥行8間の威容を誇示した。これより天保年間(1830〜1843)荘内酒井藩中の御徒士頭以上の菩提寺五ケ寺(註2)の一宇として第二席の格式を賜り、安政2年8月25日(徳川13家定将軍、121孝明朝1855)には、地頭職より法華宗触頭役を拝名し、この間寺門丹精により、第八代荘内藩主忠器公より褒賞を授与されし、二十一世具足院日幽大徳(弘化4.9.1847寂)、更には越後稲荷岡(現新潟県北蒲原郡紫雲寺町)の人二十二世信寿院日進(号名墨斉、鉄嶺、明治9.2寂)上人の如き書画、詩歌、茶・華道、武芸に長じた住職を輩出した。 |
位牌堂(2棟) |
| 更に、明治5年8月学制発布のもと、明治7年(1874)5月より翌年にわたり、小学11校(註3)が開設され、その一校として当山にも栄町外四町を通学区域とする「本鏡学校」開設され、明治10年7才の時、文豪高山樗牛も入学し、その他著名人の教育に貢献した。然るに当山二十三世唯信院日進大徳(明治12.2寂)歿後、二十四世着任の直前、明治13年(1880)3月25日、午前3時、十日町桶職市三郎より出火、五百有戸を焼土化し、当山堂宇、仏像、什器、過去帳も悉く焼失した。これより、7月15日、当山中興二十四世、教聡院日住上人(大正8.4. 1919寂)東京麻布本光寺住職より宗名により、本鏡寺に入寺し再建に励み、同年11月、新材にて本堂を、八ツ興屋農家古材にて庫裡を再建、更に明治15年(1882)6月迄には、表門、内陣、庭園等凡て成り現存過去帳も明治18年7月調成された。これより二十六世不冥院日雷聖人は36年間法灯を継承し、昭和11年(1936)6月に書院20坪の新築、43年3月には、庫裡および位牌堂28坪の増改築等寺門内外整備のかたわら、社会福祉活動に献身、(昭和44年10月「藍綬褒賞」受賞)する。次いで二十七世瑞力院日英聖人は、庫裡21坪の増改築ならびに昭和56年の宗祖七百年御遠忌の時本堂庫裡全域160坪の補強改修工事を行い、また、無縁塔を新設した。その後瑞雲院にいたり、新位牌堂80基分ならびに本堂一部拡張工事をおこない法灯相続二十八世におよんだ。 (平成11、5、 二十八世瑞雲院日行、識之) | |
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註(1) 酒井家系図 註(2) 五ケ寺 註(3) 小学十一校 明治8年開校・・・鶴山学校(常念寺)、東昌学校(東昌寺)、啓蒙学校(民間) |
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| 歴代 | 住職名 | 遷化 |
| 初 | 大覚院日定 | 天文21.7.1(1552) |
| 2 | 本極院日永 | 永禄9.3.15(1566) |
| 3 | 大乗院日瓔 | 文禄2.4.6(1593) |
| 4 | 実相坊日成 | 元和4.6.5(1618) |
| 5 | 本行院日善 | 寛永3.8.1(1626) |
| 6 | 住善院日性 | 寛永9.9.5(1632) |
| 7 | 養寿院日治 | 慶安3.12.5(1650) |
| 8 | 宝乗院日要 | 元禄7.11.10(1694) |
| 9 | 圓了院日義 | 寛文13.10.8(1673) |
| 10 | 安壽院日仲 | 貞享元.9.28(1684) |
| 11 | 無量院日恕 | 貞享5.5.13(1688) |
| 12 | 了智院日秀 | 正徳5.9.13(1715) |
| 13 | 修行院日久 | 宝永7.4.14(1710) |
| 14 | 敬音院日共 | 享保13.6.30(1728) |
| 15 | 称本院日健 | 享保17.6.6(1732) |
| 16 | 持證院日祥 | 元文元.7.29(1736) |
| 17 | 融義院日宜 | 安永5.12.13(1776) |
| 18 | 宝寿院日請 | 文化10.12.25(1813) |
| 19 | 顕妙院日説 | 天保5.12.5(1834) |
| 20 | 倶寂坊日用 | 文政9.1.16(1826) |
| 21 | 具足院日幽 | 弘化4.9.4(1847) |
| 22 | 信寿院日進 | 明治9.2.4(1876) |
| 23 | 唯信院日真 | 明治12.2.11(1879) |
| 24 | 教聡院日住 | 大正8.4.18(1919) |
| 25 | 智契院日享 | 昭和11.1.28(1936) |
| 26 | 不冥院日雷 | 昭和49.3.28(1974) |
| 27 | 瑞力院日英 | |
| 28 | 藤本典行 | 現住 |