| 元禄9年(1696)のある日、本山18世信了院日延聖人が縁あって、当時漆山の名主の息、田辺惣兵衛俊定に法号、敬順院道見日等を与えた。一旦は固辞したが、聖人の思旨により戴いた。以来一生の内に一宇建立の志を立てた。
折しも、父、惣内が没し、俊定が名主となった。元禄12年(1699)馬堀久福寺7代日案の執行で村に四天を勧請し、又、法華守護の三十番神を勧請して村の鎮守とした(現在の住吉社)。
その後、宝永5年(1708)に鎮守の側に草庵を建て、敬順庵と称した。この時、当山2代廓玄院日香が長岡より来って庵主となった。後に開山日延、開基日等、3代日香となる。
俊定は一宇建立の念いよいよ篤かった。新寺建立の禁の折であったが、高山(現、新潟市内野庄)に蓮久寺(現存)の預りとなっている宗覚寺という名はあって建物の無い古跡があることを聞き、寺号の拝領を願い、その許可を正徳元年(1711)に得た。長岡本妙寺を本寺とする旨沙汰をうけ、堂宇建立にかかった。即ち山号は俊定の院号から敬順山、寺号は高山から宗覚寺と称することとなった。
8世日英の代に現本堂建立宝暦4年(1754)で、この時本成寺末寺となった。爾来、法灯継承している。
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