教区
新潟教区
 
寺院名
長久山 総本山 本成寺 ほんじようじ
 
院号通称
宝塔院
 
住職名
貫首87世  椿澤日壽
 
所在地
〒955-0845 新潟県三条市西本成寺1丁目1番20
 
Tel
0256-32-0008
 
Fax
0256-32-0059
 
初祖 大国阿闍梨日朗聖人  
開山
摩訶一阿闍梨日印聖人
 
門祖
門一阿闍梨日陣聖人
 
寺宝什物
日蓮大聖人真筆御本尊、日朗聖人作宗祖御木像、日印聖人勧請一尊四士御像、日印聖人筆本成寺置文、後奈良天皇御綸旨、元信筆屏風一双(桃山百双の内)、その他。
 
交通
上越新幹線燕三条駅からタクシーで15分、上・信越線東三条駅からタクシーで15分、同三条駅から徒歩20分。
 
沿革

 本成寺は法華宗(陣門流)の総本山である。開山の日印聖人は日朗聖人の高弟で、宗祖の法孫に当る。越後寺泊の生れで宗祖の佐渡配流の折、寺泊の旅宿で知遇を蒙り、摩訶一麿の号を付与された。8歳で蒲原郡石瀬村の天台宗青龍寺智観法橋に就いて剃髪得度し、31歳のとき鎌倉に上り、日朗聖人の談義を聴いて開悟し、弟子になった。永仁5年(1294)34歳のとき、有縁の地に道場を建立しようと志し、白牛に経巻を載せて鎌倉をあとに、越後路に入って蒲原郡大面荘薄曽禰(すすきそね)の野地にさしかかると、牛がひざまずき、四囲に清水が涌き、やがて蓮が生えて青蓮華が開きはじめた。この奇瑞こそ有縁の霊地とそのほとりに草庵を結ばれた、というのが草創の縁起である。
 領主山吉氏は定明、長久の父子がともに聖人に帰仰し、定明は堂宇を建立して献じ、これを青蓮華寺と称し、長久はその代に至って三百石を寺領として付与した。
 正和3年(1314)聖人は鎌倉の師のもとに至り、改めて山・寺号の授与と、師を初祖に迎えたい旨を懇願した。快く容れられ、このときから青蓮華寺は長久山本成寺と改称、以後、日朗聖人を初祖とし、日印聖人を開山と仰ぐのである。日朗聖人は自筆の御本尊と、ご自作の宗祖並びにご自身の木彫の形像を日印聖人に贈られ「自ら宗祖に随従して本成寺に詣でる意を表するもの」と申し添えられたのである。
 それから3年後の文保2年(1318)12月のことである。執権北条高時から日朗聖人に対し、殿中で諸宗と討論せよとの命が下った。聖人はすでに老衰していたため、日印聖人を名代として差し出すことになった。いわゆる「鎌倉殿中問答」はかくしてはじまり、翌元応元年9月15日に結着するまで数度の討論の末、ことごとく諸宗を論破してめでたく勝利をえられた。日朗聖人はその法功を賞され、宗祖から相承した三箇の重宝を授けて宗門がその正嫡である証とされた。三箇の重宝は本成寺に納められたが、日印聖人は示寂の前年、嘉暦3年(1328)10月8日の『本成寺置文』を以って、さらにここが「根本道場」であり「門家の棟梁」たるべきものと明確に定められた。
 三祖日陣聖人は、越後国瀬波郡加治荘荒川郷(中条町飯角)に誕生、8歳で日龍に就いて剃髪、門一麿と呼ばれ、長じて円光坊日陳と言い、のちに日陣に改めた。18歳のとき京都本圀寺の学室に移り、当家の奥旨を究めて一世の学匠となった。ために日静は示寂に先立って本圀寺を日傳に、本成寺を日陣聖人に付された。正平24年(1369)聖人31歳のときである。これより聖人は本成寺を根拠にして教線の拡張と子弟の育成に専念し、盛時には山内の子院及び学寮等160余坊にも及んだという。聖人は身軽法重、よく宗祖の正意たる本勝迹劣の義を明確にし、その弘通につとめられたのである。よって当家ではその遺徳を称揚して、とくに門祖と呼び、教旨を継ぐものとして門下を陣門流という。
 当山は後奈良天皇以来朝恩を深く蒙り、山吉家のあとは上杉家の外護があり、実景以来300石を領し、永正年中には千石の加増があった。しかし、慶長3年に加賀の大聖寺から講口秀勝が新発田に入部すると、当山の寺領はその封地に組み入れられ、溝口氏は軍役を免ずるとともに千石を減じ、本成寺村の寺領300石が両者立ち合い実測の結果500石あり、談合のすえ内200石は溝口氏が受領、300石は当山に付与されることになった。この黒印地が御朱印地に改められたのは慶安元年のことで、溝口家三代出雲守宣直と老中久世大和守広之の尽力による。これによって寺職継目御礼を江戸城白書院で行うようになったのは、承応元年(1652)17世日俊代からはじまる。
 この地は信濃川と三条市内を流れる五十嵐川の合流点近くに位置して、洪水の記録は極めて多い。したがって出水の都度、当山が大きな被害を受けてきたことは推測に難くない。殊に文政の三条大地震のあとの復旧工事中に町同行の大半を焼く大火、天保年間に入っての蝗害、未曽有の長期の飢饉、続いて6年(1835)の大洪水である。このとき近末寺院に発した回状が現存するが、これによると早急な援護を求める当時の悲惨な状況が理解できる。
 また一山を焼失する火災は文安年中、天文20年、宝暦8年、明治26年と過去数回に及んでいる。これを再建の歴史の面からみると、文安の火災後、五世日顕の建てたものは25問四面という広大な本堂だった、宝暦12年(1762)に本堂を再建した28世日修は、退山までに客殿・方丈・二重塔・鐘楼堂その他を順次完工させた。それが明治26年(1893)3月16日、外廓の堂宇を残すだけで、主要部分を一夜にして灰燼に帰した。原因は子院の失火から類焼したのであるが、以来、20年の歳月をかけ再建したのが現在の本堂・客殿・方丈等である。ここで焼失した宝暦建造のものを旧とし、それと現在のものが規模においてどう相違するか、主要部分の建坪数で比較してみよう。

 

 名称

  旧坪

  現在坪

 本堂

 125.00

 350.00

 客殿

 122.00

 173.00

 座敷

 108.00

  77.25

 方丈

 157.00

 147.00


 現在の客殿は前より3尺あげて土盛りをして明治27年5月に立柱式、翌年4月に遷座式を執行した。60世日舜はこれを済ませて2箇月後に退山したが、火災当時からの執事山本是好(日聡)は再建事務長を兼ねて留任し尽力した。本堂は32年5月に起工し、36年4月上棟式、大正2年(1913)9月、64世日遠代に落慶入仏式が行われた。設計監督は松井角平である。
 昭和56年宗祖の七百遠忌記念事業として延べ約218坪の寂光殿の新築、本堂・客殿の改装、玄関・寺務所・台所等の大改造を成し、ために寺観を一新し、威容を倍増した。かくして56年6月81世日伸代、宗祖の御遠忌大法要が謹修された。
  平成14年に「平成の大修理」によって現在の伽藍が整う。

 
 
 
歴代
寂年  
大国阿闍梨日朗 
元応2.1.21(1320)78歳  
摩訶一阿闍梨日印 
嘉暦3.12.20(1328)65歳  
門一阿闍梨日陣
応永26.5.21(1419)81歳  
日存
文安4.3.4(1447)78歳  
日顕
文明10.9.11(1478)70歳  
日誓
文明15.12.22(1483)53歳  
日将
明応4.1.8(1495)45歳  
日現
永正11.7.1(1514)56歳  
日覚
天文19.11.16(1550)65歳  
10
日意
永禄元.6.14(1558)55歳  
11
日扇
天正3.4.1(1575)41歳  
12
日芸
慶長5.8.18(1600)75歳  
13
日教
慶長13.9.6(1608)57歳  
14
日伴
元和元.10.26(1615)61歳  
15
日厳
寛永7.6.20(1630)63歳  
16
日柔
正保3.4.29(1646)59歳  
17
日俊
寛文12.6.11(1672)66歳  
18
日延
元禄15.9.1(1702)82歳  
19
日観
享保6.7.2(1721)87歳  
20
日海
寳永2.3.25(1705)70歳  
21
日長
寳永2.7.4(1705)58歳  
22
日堯
享保17.12.24(1732)72歳  
23
日宥
享保17.5.7(1732)59歳  
24
日體
寳暦4.10.7(1754)78歳  
25
日b
寳暦14.1.1(1764)82歳  
26
日饒
安永4.4.6(1775)85歳  
27
日叙
寳暦8.2.29(1758)58歳  
28
日修
安永9.7.27(1780)69歳  
29
日叡
安永5.7.24(1776)65歳  
30
日廓
天明8.3.2(1788)77歳  
31
日随
天明4.8.24(1784)70歳  
32
日輝
天明8.5.27(1788)76歳  
33
日普
寛政8.3.4(1796)71歳  
34
日運
寛政4.3.4(1792)70歳  
35
日承
寛政7.  
36
日聞
文化元.7.1(1804)75歳  
37 日護 文化13.5.6(1816)75歳  
38 日齢 文化6.7.30(!809)56歳  
前39 日安 文化7.1.8(1810)56歳  
後39 日精 文政7.9.5(1810)69歳  
40 日隣 文政2.9.2(1805)62歳  
41 日潤 文保2.7.5(1831)62歳  
42 日堂 弘化4.10.5(1847)80歳  
43 日壇 天保9.11.18(1838)64歳  
44 日唯 天保6.9.25(1835)64歳  
45 日念 弘化2.9.30(1845)72歳  
前46 日應 天保13.8.15(1842)66歳  
後46 日暢 嘉永元.2.12(1848)74歳  
47 日融 弘化2.7.9(1845)57歳  
48 日圓 慶応2.2.25(1866)76歳  
49 日明 文久元.4.11(1861)70歳  
50 日宗 文久3.12.22(1863)71歳  
51 日守 萬延元.7.4(1860)60歳  
52 日躬 明治12.7.1(1879)70歳  
53 日韶 明治9.8.22(1876)65歳  
54 日純 明治4.7.17(1871)52歳  
前55 日琳 明治38.6.16(1905)83歳  
後55 日輔 明治31.10.9(1898)73歳  
56 日讃 明治24.7.6(1891)65歳  
57 日軌 明治17.11.25(1884)59歳  
58 日健 明治31.4.20(1898)72歳  
59 日演 明治37.6.25(1904)76歳  
60
日舜
明治36.3.26(1903)71歳  
61 日惟 大正3.6.6(1914)79歳  
62 日新 昭和2.5.25(1926)81歳  
63 日境 大正11.10.11(1922)71歳  
64 日遠 昭和6.5.21(1931)74歳  
65 日諭 大正6.7.10(1917)63歳  
66 日学 昭和6.6.10(1931)69歳  
67 日彰 大正13.5.9(1924)58歳  

68

日期 昭和19.5.23(1944)78歳  
69 日聡 昭和6.5.10(1931)80歳  
70 日淳 昭和35.5.23(1960)85歳  
71 日雲 昭和23.5.5(1948)92歳  
72 日孝 昭和18.10.26(1943)69歳  
73 日浄 昭和20.1.20(1945)71歳  
74 日理 昭和32.2.27(1957)78歳  
75 日玄 昭和45.11.28(1970)83歳  
76 日勢 昭和42.1.4(1967)75歳  
77 日幹 昭和63.3.1(1988)94歳  
78 日襄 昭和57.4.30(1982)88歳  
79 日透 昭和50.7.3(1975)83歳  
80 日祥 平成3.6.4(1991)92歳  
81 日伸 平成12.5.24(2000)94歳  
82 日騰 平成17.6.7(2005)96歳  
83 日穏 平成2.9.1(1990)74歳  
84 日桂 平成14.6.25(2002)94歳  
85 日香 平成16.3.4(2004)91歳  
86 日艸    
87 日壽