| 関東教区 | りしょうじ |
理性寺 山門 |
| 法真山 | 理性寺 | |
| 院号通称 | 宝成院 大黒様の寺 | |
| 住職名 | 21世 牧野 秀成 | |
| 所在地 | 〒168-0064 東京都杉並区永福3−56−29 | |
| 電話 | 03-3321-2928 | |
| FAX | 03-3325-5856 | |
| 開創 | 承応3年(1654)四谷大木戸ー大正3年(1914)現在地に移転 | |
| 開山 | 実成院日充・寛文12年(1672)7月24日寂 | |
| 開基 | 大久保荒之助忠当・旗本・寛永元年(1624)没並室理性院殿日然尼。延宝五年(1677)没 |
| 寺宝什物 | 大黒天像 弘長元年(1261)3月5日付日蓮上人彫銘 |
| 交通 | 京王帝都井之頭線西永福駅北隣。 |
日蓮御聖人手造りの大黒天像 |
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大黒堂 |
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| 法真山理性寺は法華宗陣門流で、本尊は十界勧請の曼荼羅である。 理性寺は法華宗総本山、本成寺(新潟県三条市)の末寺で、承応三年(一六五四)の創立、開山は静岡県鷲津町本興寺十五世実成院日充聖人、開基は大久保荒之助忠当、法名法真院殿日尭居士(寛永元年一六二四・正月二日没)と、その室久世三左衛門広宣娘、法名理性院殿日然大姉(延宝五年一六七七・六月二十日没)の両夫妻である。忠当夫妻の法名に因み法真山理性寺と称したことがわかる。 寺地は大久保越中守忠辰・同甚兵衛尉忠陰の兄弟、理性院の依頼により両親の菩提寺として内藤新宿四ッ谷大木戸の内藤若狭守重頼の別荘地を借り受け、大久保家下屋敷の名儀をもって当山を草創した。 その後、二世日恕の代に当地を寺院境内地として許容されたい旨を願ったところ、老中久世大和守広之によって許可を得、境内地を所有するようになったという。現在地には大正三年に移転した。 境内の大黒堂には「経」の字を型取った厨子入りの大黒天が安置されている。 この大黒天像は弘長元年(一二六一)宗祖日蓮上人が伊豆の伊東へ流される直前に彫ったと伝えられ、高さは四寸程の素人作りのずんぐりした本像(一木造り)で、のみのあとがよく残っており背面には「弘長元年(一二六一)三月五日之作 日蓮」との銘がある。 そしてこの大黒天は「火伏せの大黒」と呼ばれ、寛政六年(一七九四)幕府寄合医師木村検校が奉納したもので、近火の折に大団扇をもって現われ、理性寺を類焼から守ったという。 また「貧しき者には福を、病人には薬をあたえ、無知の者は知者に、短命の者は長命に、悪心の者は善心となす」という御誓願があり、深く信ずる者は「現世安穏・福祐自在・来世成仏・得脱疑無し」と教えられており、現在も甲子の日に「大黒天甲子祭」が催され、大勢の人々が参詣されている。 その他の宝物としては、雪洞・探幽・常信・尚信・探信・探雪などの画幅を所蔵している。有名墓碑としては、幕府医官林恒斎〈享保五年(一七二〇)没〉・戯作者伊庭可笑「珍説雷婚礼」「化物箱入娘」等著者〈天明二年(一七八二)没〉・初代杵屋三五郎〈安政四年(一八五七)没〉などがある。 |
理性寺 本堂 本堂 内陣 |
| 歴代 | 住職名 | 遷化 |
| 初 | 實成院日充 | 寛文12.7.24(1672) |
| 2 | 心誠院日恕 | 元禄15.10.3(1702) |
| 3 | 徳本院日文 | 正徳元.4.12(1711) |
| 4 | 考源院日冨 | 享保6.10.27(1730) |
| 5 | 順統院日攝 | 宝暦8.8.24(1758) |
| 6 | 通玄院日喜 | 宝暦12.1.13(1762) |
| 7 | 遵智院日演 | 安永9.2.22(1780) |
| 8 | 立玄院日受 | 寛政12.12.11(1800) |
| 9 | 信達院日栄 | 天明8.10.25(1788) |
| 10 | 宣明院日詳 | 文化7.9.29(1810) |
| 11 | 瑞隆院日訪 | 天保2.10.7(1831) |
| 12 | 妙行院日快 | 嘉永2.10.27(1849) |
| 13 | 豊雨院日仰 | 慶応3.11.22(1867) |
| 14 | 快楽院日忖 | 明治14.3.16(1881) |
| 15 | 恭敬院日讃 | 明治24.7.6(1891) |
| 15後 | 日瑤 | |
| 16 | 練行院日聡 | 昭和6.5.1(1931) |
| 17 | 勤事院日占 | 大正3.2.24(1914) |
| 18 | 本理院日道 | 大正14.10.3(1925) |
| 19 | 幽微院日収 | 昭和44.6.23(1969) |
| 20 | 牧野琢成 | |
| 21 | 牧野秀成 | 現住 |