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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

日蓮大聖人尊像にかける綿帽子はどういう意味があるのですか。

布教研究所所員・岡崎 妙国寺住職 西川泰裕

 日蓮大聖人が遭われた法難の一つに「小松原の法難」があります。大聖人は現千葉県小湊のお生まれですが、立教開宗後は布教の拠点を鎌倉に構えておられました。鎌倉の地で辻説法をされているときに、故郷にいる母の病の報を聞き、小湊に向かわれたのですが、大聖人を恨んでいた地頭の東条景信が、小松原という地で一行を待ち伏せ、襲撃しました。その時大聖人を護ろうとして弟子の鏡忍房は討ち死にし、九死に一生を得た大聖人も、額に傷を負われました。晩年大聖人は身延山に住まわれますが、

  五尺の雪ふりて本よりかよわぬ山道ふさがり、といくる人もなし。衣もうすく、かん(寒)ふせぎがたし。食たえて命すでに終りなんとす。(上野殿御返事一七二一)

  とあるように、身延山の冬は厳しく、大聖人の額の傷も病まれました。そのお姿を見たお弟子たちが自分の衣の袖をちぎり、大聖人がその袖を頭巾代わりにしたという故事にのっとり、大聖人の尊像には秋のお会式から春の彼岸まで綿帽子をお掛けするのです。

  また、千葉県小湊に日蓮宗の日蓮寺という寺(小松原の法難後、額に傷した大聖人が一夜を過ごされた厳谷の寺)があり、こちらにも綿帽子の由来の話があります。日蓮寺では、綿は三層になっており、額から順に、赤・黄・白の染めた綿を使っておられ、これは大聖人の額の傷の血の色を表すそうです。

  大聖人を思う気持ちは今も昔も変わりありません。身延山のご廟所の横に草庵跡がありますが、当時五尺の雪が積もり、寒の中を大聖人が読経にくれる日々をそこで過ごされたかと思うと、綿帽子の厚さも年々厚くなる思いです。

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