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仏教質問箱布教誌『宝塔』に連載中の「仏教質問箱」より

聞法の功徳

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  法華経に「衆生、虚空の中の声を聞き已る。・・・・諸仏の謦?の声、及び弾指の声、周く十方の国に聞えて地みな六種に動ず。」と説かれておりますように、仏教では、この世は「声」や「音」が大変大切な世界であると見ます。

 聞法下種という言葉がありますが、仏さまの教えである「仏法」を聞くことに依り、その功徳を私達の心に植え付けられることを聞法下種と言います。

 医学的にも人間は、この世に産まれて最初に耳が聞こえるとされ、死ぬ時も心臓が止まった後も耳は最後まで聞こえると言われます。ですから赤ちゃんが母胎にある時から良い音楽を聞かせるとよいとか、いわゆる胎教ということがあります。また人の臨終の時、地方によっては遺族がその人を囲んでお題目を唱え、唱題の見送りの中で霊界へ旅立たれるようにする所もあります。

 そもそも仏教では、仮に医学的に耳が聞こえなくても「仏法は毛穴で聞く」と申しますし、更に人間だけに限らず、口をきかない動植物ひいては一切の物に迄その功徳は及ぶと説くのであります。

 今から二十年位前の話ですが、その頃は野良犬が大変多く、いわゆる「犬殺し」といって首輪のない野犬を専門に捕まえる人達がおりました。たまたま寺の檀家さんにもそういう仕事をする人がおりまして、ある時、いつものように犬を捕まえに行きますと、一匹の不思議な犬がおりました。普通の犬ですと、犬殺しの人が来ると直ぐにそういう臭いがして、自分が捕まえられるということが本能的に解るんだそうでして、気も狂わんばかりに力の限り騒ぎ回るそうですが、その不思議な犬は、その人が近付いても全く騒こうとしないで、おとなしくキチッとお座りをして、その人の言う通りに捕まえられたそうであります。言わば犬らしからぬ本当に礼儀正しい犬でありました。首輪こそ付けておりませんでしたが、余りに従順で立派な犬でしたものですからその犬殺しの人はそっと逃してやりました。数日後、その人が知り合いの人の家へ行きましたら、バッタりその犬に再会したのであります。犬殺しの人は「イヤー、この犬はお宅の犬ですか?!」と驚き「実はこの犬は・・・・・・」ということになりました。

 実はこの犬の飼い主の人も檀家さんでありました。そして毎月、寺のお題目講には必ずお詣りに見えて、お経のあがった御供物のおさがりのお菓子を帰ってから家中みんなで頂き、残りを犬にも分けてやっていたそうで、その度に犬は喜んで食べていたんだそうでございます。

 私はこの犬の話を聞いて、不思議で有難いお題目の声の功徳がこの犬にはきっとあったんだろうと思いました。皆さまはどう思われましたでしようか。日蓮大聖人さまは

 「口に妙法をよび奉れば、我が身の仏性もよばれて必ず顕れ給う。」

 「真実の断惑は寿量の一品を聞きし時なり」。

と仰せられました。  

 犬の飼い主の人は、常にお題目信仰の熱心な方でありました。この人が口に唱え、そして耳に聞いた、南無妙法蓮華経の功徳は、ご本人だけに止まらず、飼い犬に迄とどいていたのではないでしょうか。

 この犬は、お題目の声のあがったお菓子を通してお題目を開法していたのではないでしょうか。

 まして、その有リ難い功徳深重のお題目を今、こうして口に唱えさせて頂ける私達人間の「幸せ」を感じなければならないと思う次第であります。皆さまのますますのお題目修行をお願い申し上げます。「今身より仏身に至る迄能く持ち奉る本門寿量品の肝心南無妙法蓮華経。」  

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