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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

つゆつもりて河となる河つもりて大海となる

解説:学林教授・大久保  本修寺住職 田中 靖隆

つゆつもりて河となる河つもりて大海となる

 つゆも積もれば河となり、河が集まれば大海となります。

 この文はこの後、小事でも積もると大事となる。まして、この事(法華経がお経の中で一番すぐれていること)は最も大きなことであるので、それを証明するには、全てのお経と他の教えを充分に調べつくし、それぞれの主張をよくたずねて事の真実をきわめ、その証拠を提出しなければならない、とつづきます。

 なぜ、このようなことが書かれているかというと、法華経は機根(教えを受ける相手)や時代、風土によって相違が出てしまい、昔の中国では『華厳経』『涅槃経』にぎ三番目に位置づけられていました。こうなってしまった原因を日蓮だいしょうにんは、人の使者には三つのタイプがあるため、としています。

 一番目は極めてのある者、もう一人は愚おろかでもなく智慧もすぐれていない人、最後は智慧はないが正直な人です。智慧のある人はあるじに言われた通りのことを伝えます。二番目の人は少し智慧があるので、主の言ったことに自分の考えをつけ加えて伝えてしまいます。三番目の人は智慧がないので、自分の考えを加えず、そして正直なので、やはり主の言葉を忠実に伝えます。

 さまざまな人が自分の考えを少しずつ加えて法華経を広めていってしまったので、たくさんの流派ができ、多くの人がどれについて行ってよいか、わからなくなってしまいました。小事が積もって大事となってしまったのです。

 人に何か伝える、というのは今もよくあることですが、私たちは聞いたことや、見たことに考えを加えたりちょうしたり、面白くしようとしたりしがちです。そのようなのは、まだ可愛げがありますが、時に悪意をもって話につけ加えをする人もいます。私などは、そのような悪意のあるつけ加えの話もすぐ信じてしまうのですが、じんに「その話は本当なの?」と厳しく詰問されてハッと気がつくことがあります。どの話が真実か自分で見極める力を持つこと、そのこれは大事に至る小事かを深く考え、教えにすがりながら進みたいと思っております。例え耳の痛い話でも本当の話をしてくださる方は貴重なありがたい存在であると思います。

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