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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

家に二の主あれば其家必ずやぶる

出展:報恩抄(聖壽五十五歳 昭定一一九四頁)
解説:学林教授・中原本門寺住職 光林孝玄

家に二の主あれば其家必ずやぶる

 今月のこ聖訓は、大聖人の五大部の一つ『報恩抄(ほうおんじょう)』の一節です。
 この前後には、次のように綴(つづ)られています。
 世間(せけん)を見(み)るに各各(おのおの)我(われ)も我(われ)もといへども国主(こくしゅ)は但一人(ただひとり)なり。二人(ふたり)となれば国土穏(こくどおだ)やかならず。
…聖訓…
一切経(いっさいきょう)も又(また)かくのごとく…
一経(いっきょう)こそ一切経(いっさいきょう)の大王(だいおう)にてはをはすらめ。
 兎角(とかく)、私たちは「自分こそが」「私こそが」…と我欲を優先させることで、いつの間にか自身の心の調和を乱し、自他の間に不協和音を生ぜしめ、望まぬ方向へ陥(おちい)ってしまうこともあるようです。
 大聖人は、何事にも確かなる中心を据(す)えることによって、円満を導く秩序が成就するという道理を、国家・家庭のありように寄せて、お説きになられているのです。
 それは、心の世界においても同様で、「妙法(みょうほう)」への曇りなき一途(いちず)な念(おも)いこそが、迷いの存在である我等の心を支えぬく至上の力となることを教えるものであります。
 本仏釈尊という大いなる存在を仰ぐならば、そこに、本当の自己の姿が自覚されてまいります。
 「我も仏の子」「彼も仏の子」と噛みしめ、他者を尊重し、仏天・祖先とともに歩むなかに、苦楽を分かちあい乗り越える力を頂戴(ちょうだい)することができるのであります。
 我らの心を支えぬく唯一無二(ゆいいつむに)の柱を「妙法」と申します。それは、私たちの信心と固く結ばれる、本仏釈尊による永遠不滅の慈愛の絆(きずな)であります。

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