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日蓮大聖人のおことば 布教誌『宝塔』に連載中の「日蓮大聖人聖訓カレンダー解説」より解説者の役職・所属寺院名などは掲載当時のもの

夫佛道に入る根本は 信をもて本とす

出展:法華題目鈔(昭定三九二)
解説:学林助教授・岡崎 長福寺住職 牧野真海

夫佛道に入る根本は 信をもて本とす

 文永三年(一二六六)正月、安房・清澄寺で撰述されたお手紙です。このわずか二年前に大聖人は同じ安房・東条松原の大路を巡化中、地頭東条景信ら念仏信者の襲撃を受け、弟子鏡忍房・信者工藤吉隆が討死、大聖人も重傷を負う惨禍に見舞われました(小松原法難)。そうした迫害にもめげず、このお手紙を熱心な女性念仏信者に宛て「信」の大切さをお説きになるあたり、なみなみならぬ法華経弘通への情熱がヒシヒシと伝わってくるようです。
 仏教の道に身をゆだねようとしたとき、私たちにまず必要なものは何でしょう。仏教学の書物でしょうか。知識を授けてくれる講師でしょうか。他のどの宗教からも攻撃されない理論武装でしょうか。どれも仏教を学ぶうえでの大切な要素ですが、それだけでは教養としての仏教理解に留まります。「信」をもってはじめて久遠本仏さまの悟りの慈悲をいただくことができるのです。大聖人はこのあたりを、次のように表現されています。
 「南無妙法蓮華経と一日に六万十万千万等も唱えて、後に暇あらば時々に弥陀等の諸仏をも口すさみ」
 千万遍ほど唱題すれば時には念仏もよろしい、との言葉の真意は、数を忘れ、時を忘れるまでに唱題修行に没頭すれば念仏など口に出る余地はなくなる、という点にあります。ただひたすらに南無妙法蓮華経を唱題申しあげる(信心口唱)ことこそが、大聖人のお説きになる「以信得入」の実践方法といえるでしょう。

夫佛道に入る根本は 信をもて本とす

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